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審判は消滅していく存在なのか

SPORT POLICY INCUBATOR(38)

2024年3月13日
滝口 隆司 (毎日新聞社論説委員)

 審判の誤審に厳しい目が向けられるようになった。SNSの普及により、ネット上では微妙な判定の動画が繰り返し再生され、審判は相次ぐ誹謗中傷にさらされる。正確を期するために、映像を用いた判定が多くのトップ競技で採用されるようになってきた。その半面、将来は「人間審判」が不要になるのではないか、との声もささやかれる。既に審判が減らされるケースも起きている。スポーツ界は判定の機械化について、どう向き合っていくべきか。

審判は消滅していく存在なのか

 2023年夏の全国高校野球選手権神奈川大会の決勝、慶応対横浜戦では、ダブルプレーの際の二塁審判の判定を巡り、SNSでは「誤審ではないか」との投稿が相次いだ。

 横浜の2点リードで迎えた慶応の九回の攻撃だった。無死一塁の場面で打者は二塁正面へのゴロを打ち、併殺かと思われた。しかし、横浜の遊撃手が一塁に送球する際、右足が二塁ベースに触れていたかどうかが微妙だった。二塁の審判は踏んでいないとみて、セーフの判定。横浜側はベースを蹴るように触れたとして審判に確認を求めたが、覆らなかった。その後、慶応に3ランが飛び出し、横浜は逆転負けを喫することになった。

 試合の映像を見返しても、判定が難しいプレーであったことは確かだ。しかし、プロ野球のように、映像でのリプレー検証が現場でなされていたら、選手も観客もある程度は納得したかもしれない。

 日本高校野球連盟ではそれ以降、ビデオ判定の導入を議論している。今のところは賛否両論という。甲子園大会など映像の採用が技術的に可能な試合から始めるべきだという意見がある一方、地方大会の全試合で導入するのは困難であり、高校生の試合でそこまでする必要はない、と否定的な声も根強い。

 映像による判定技術は、既に人間の目の能力を超えている。「三笘の1ミリ」と有名になったサッカー・ワールドカップでのゴール・ライン・テクノロジー(GLT)がその象徴だろう。ボールにはチップが埋め込まれ、スタジアム上方から「ホークアイ」と呼ばれる高性能のカメラが選手の動きを追う。オフサイドの判定までも可能になったほどだ。

 ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)というシステムも、プロサッカーでは幅広く採用されている。①得点したかどうか②PKかどうか③一発退場かどうか④反則カードを出す選手に間違いはないか――について、微妙な判定の際には主審が映像を確認し、ビデオ担当副審のアドバイスも受けて最終判断を下す。その名の通り、映像は補助という位置付けだ。

 しかし、一部競技の現場では、審判の「消滅」も始まっている。バレーボールのネーションズリーグやワールドカップなどの国際大会では、線審が機械的な判定に置き換わっている。ライン付近の判定を行う線審は通常、4人で行われるが、国際大会ではコンピューター・グラフィック(CG)の映像で機械が判定を下す。これによって、線審が不要とされてしまった。 

 CGによるライン上の判定技術は、テニスでも同じだ。きわどい判定に異議がある場合、選手が「チャレンジ」を要請し、映像が会場内に示される。この光景が今ではおなじみとなっている。国際ツアーを管轄する男子プロテニス協会(ATP)は、2025年のツアーから線審を廃止し、機械による自動判定システムに完全移行すると発表した。既にハードコートで行う全豪オープンや全米オープンでは廃止されているが、芝のウィンブルドン選手権やクレーコートの全仏オープンの主催者は線審を排除することに反対しているという。

 野球に話を戻せば、米国のマイナーリーグでは、自動ボールストライクシステム(ABS)が試験的に導入され、「ロボット審判」とも呼ばれている。球審が投球判定するものの、投手、捕手、打者には「チャレンジ権」が認められ、異議がある場合は「ホークアイ」による高性能カメラがストライクゾーンを見分け、ボールか、ストライクかを自動判定する。

 人間が判定したものを機械が自動的に覆す。そうなれば、審判は不要という意見も出てくるだろう。バレーボールやテニスの線審と同様、野球でも球審の立場が揺らいでいる。しかし、審判の役割とはプレーの判定だけではない。試合の流れを読み、対戦する選手たちとコミュニケーションを取り、不公正な振る舞いがないかを監視する。スムーズな進行を心がけ、対戦相手が互いに尊重しながらプレーできるよう、試合をまとめていく。言ってみれば、オーケストラの指揮者のような存在ではないか。

 プロ野球の元審判で、NPBの審判技術指導員も務めた山崎夏生さんが「『ストライク』のコールは、ストライクゾーンを球が通過したという意味ではない。審判がバッターに向かって『打て』と命令している。だから動詞の命令形なのです」と話していたことがある。本質的には、それだけ審判の判断が重視されているのだろう。しかし、マイナーリーグが試しているのは、その正反対のことだ。メジャーリーグもABSの導入を検討していたが、2024年は運用上の未解決部分があるとして、見送ったという。米球界にもさまざまな意見があるに違いない。

 人間の曖昧さや不確実さを補うために機械は用いられる。だが、補助的な役割を逸脱した結果、「審判」というスポーツの仲間が競技の現場から姿を消している事実にも目を向けるべきだ。人工知能(AI)の急速な発展も進む中、人々は技術革新の利便性を享受する一方、人間の仕事が失われていくのではないか、と懸念も抱いている。その現象の一端がスポーツに表れている。 

 スポーツは「人間が営んできた文化」である。その根本を忘れず、時代に合わせた変革を進めていかなければならない。

  • 滝口隆司 滝口 隆司   Takiguchi Takashi 毎日新聞社論説委員 大阪府出身。毎日新聞では主に運動部に在籍し、4度の五輪をはじめ、野球、サッカー、ラグビー、大相撲など幅広く取材。大阪本社運動部長を経て2019年から論説室。新聞連載「五輪の哲人 大島鎌吉物語」で2014年度ミズノスポーツライター賞優秀賞。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』など。立教大学兼任講師も務める。